岡山大学
臓器移植医療センター教授
大藤 剛宏
大藤先生が医師として持ち続けている“こだわり”を教えていただけますか?
私は移植医療に従事していますが、これはまさに、生と死が交差する医療です。その交差点に立つ上で、私は自分自身について、移植医である前に一般の医師でありたい、そして医師である以前に普通の人間でありたいと思っています。
普通の人間、とは?
移植医にとっては、移植ができるかどうかが一番の関心事です。でも、私に助けを求める患者さんにとって、私に断られるイコール移植の道が絶たれるということ。つまり、死を意味します。しかし、移植ができないから自分の患者さんではないのかといえば、それは違います。移植はできなくても、コミュニケーションを取ることで、生きる希望を与えることはできる。それは、医師としての自分の仕事です。
残念ながら、移植を待つ間に死亡してしまう患者さんもいらっしゃいます。移植までは3〜4年かかることもあるので、悲しいことですが本来は仕方ありません。でも、「移植を一緒に頑張っていこう」と信頼関係を築いた相手が亡くなってしまったとき、人間としてそれきりにはしたくありません。近くに立ち寄ったときは、線香1本でも上げに行き、ご家族と故人を偲ぶ話をする。これが私の医師としてのこだわりかもしれません。
移植医療という領域で死に向き合い続けることは、怖くないのでしょうか?
怖くはありません。それは、自分のチームが手術すれば、患者さんは100%助かるという自信があるからです。だから手術の適応があれば、堂々と「自分のところへおいで」と言えます。その分、私のところには難しい患者さんが多いのですが。
100%の自信はどこから来るものなのですか?
それは、良いチームができているからです。とはいえ、2007年に海外から帰国した当初は大変でした。まだ “自分のチーム”と言えるほどにはなっていないような感覚といいますか。
移植の手術は、麻酔科医、前立ちの医師、臓器提供者から臓器の摘出をする医師、摘出された臓器の状態をバックテーブルで管理するスタッフなど、チームが一体となっていないと成立しません。そこからチームをまとめる努力をして、チームが完成したのが5年前。それ以降は死亡率0です。
良いチームを作るために、どんな工夫をされていますか?
チームの家族を大事にしています。私にも子供が2人いて、休日には一緒に釣りに行くことがあるのですが、私の携帯電話がピピピと鳴り、私が何か難しい話を始めたのがわかると、子供たちは荷物を片付け始めるんですよ。
お父さんが仕事に行くことがわかってしまうのですね。
移植するとなったら、お盆だろうがお正月だろうが、すぐに飛んで行かなければいけません。でも、よく考えてみると、私は自分のチームメンバーにそれぞれの家庭で同じことをさせているんですよね。だから1年に1回、チームメンバーとその家族を連れて、旅行をしています。お父さんがBBQの支度をして、他にもみんなでスイカ割りとか花火をする。
その晩はお母さん同士、子供同士で同じ部屋に泊まってもらって、思う存分、愚痴を言い合ってもらいます(笑)。でも、そうすることで、お母さんも同じ環境の相手にしかできない相談をしたり、子供も「やっぱりお父さんは大事な仕事をしてるんだ」と理解したりと、みんなにいい作用があるんです。お母さん同士はたまに「えっ、その日は移植はなかったわよ」なんてことになったりするらしいですが(笑)。
そ、それは……(笑)。
話を戻して、大藤先生はこれまで、“世界初”といわれるような画期的な手術に次々と成功されていますよね。このようなブレイクスルーは、どうすれば成し遂げられるのでしょうか?
実は、“何かを打ち破る”なんてつもりはないんです。例えば2013年の国内最年少の生体中葉移植は、患者さんが3歳でした。普通の肺は移植できないので、最も小さい中葉を移植したんです。その結果、これまで肺移植を受けられないとされてきた小児にも、移植の道が拓けた。このように、あくまでも一例一例、目の前の患者さんを助けるためにどうすればいいのかを考えた結果なんです。
一貫して、人を大事になさっている印象を受けました。
医療にかぎらず、社会というのは人が人を助けるわけですから、人がいないと成り立ちません。機械や薬が助けるわけではないんです。特に、移植医療はその原点に立ち返るもの。なのに今の手術は、自分たちでどんどん難しくしているところがあって。もちろん、患者さんへの侵襲は少ない方がいいのですが、内視鏡の小さな穴だけでどこまでできるかみたいな方向性の努力をしていますよね。
肺移植はその逆で、完全に開胸してしまいますから。方法は簡単なのですが、簡単にやってもなお難しい。だからこそ、匠の技、チームの力、つまりは人が大事になります。それだけでなく、最後は患者さん自身の“生きる意思”も結果を左右しますから。
“生きる意思”ですか?
以前、野球のコーチをされていた患者さんが、「先生、見送り三振は嫌だ。空振り三振がいい」と言ったんです。彼は当時60歳を過ぎていて、本来は手術の適応ではなかった。でも、リスクを承知で、それでもトライしたい、と。その“生きる意思”があるのであれば、「やりましょう」と言いました。今では元気に生活されています。
「今苦しいから手術をしてくれ」だけでは、そうしても移植手術を乗りきれないんです。手術に成功したあとに何をしたいか、その意志は年齢などよりも重視しています。
生死をかけた人と向き合うというのは、当然ですが、決して楽な仕事ではありません。大藤先生は、なぜ医師を続けているのですか?
ひと言で言えば、人が好きだからでしょう。そして、手術自体も好きなんです。手術しているときは疲れを知りません。10時間を超えても水ひと口飲みませんし、それを辛いとは思わないんです。まあ、終わったら疲れますが(笑)。
それはすごい。ハードな日々を送られていますが、毎日身にまとう白衣については、何かこだわりはありますか?
手術室では術衣が戦闘服です。一方、白衣は正装。特別なものです。医師が白衣を脱いで患者さんに接しても構わないと思うのですが、私自身はやはり正装で向き合いたいですね。白衣を着ると、医師としてのスイッチが入ります。
大藤先生が白衣を選ぶポイントはどこですか?
涼しさですね。基本的にはずっと屋内にいる仕事ですし、冬でも暑くなることがありますから、通気性は大切なポイントです。あとはやっぱり正装ですから、カッコいい白衣がいいですね。
白衣は実験着ではないし、白ければいいというものでもありません。ダボッとした白衣をまとうと気分も下がってしまうので、ボディラインに沿ったものを選ぶようにしています。クラシコは全体的なシェイプがスマートなので、医師としてのスイッチを入れるには一番だと思います。
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岡山大学医学部医学科卒業。
オーストラリアへ留学後、岡山大学臓器移植医療センター教授を務める(現職)。
移植先進国であるオーストラリア留学の経験から、諸外国では当たり前に受けられる肺移植について、臓器提供の少ない日本では助かるはずの命が助かっていない現状に直面、それを打破するべく、さまざまな発想から新しい移植手術に挑戦し続けている。